価値探究の道

投資や競馬の世界で儲けを追求するに世間で思われている価値と実際の価値のギャップを見つけること。そんな思いで書かれたブログです

最も尊敬する歴史上の人物

大学生の時代就職面接の場で「最も尊敬する歴史上の人物は誰ですか?」と聞かれた時があります。他の学生が織田信長徳川家康と言った人物をあげるなか、中田は一人「上杉鷹山」ですと答えて面接官の目を白黒させた覚えがあります。

ところで皆さんは上杉鷹山をご存じでしょうか?歴史的に見ますと織田信長徳川家康といった人物に比べると大した実績は残していません。今の山形県米沢市にあった米沢藩のトップで、財政破綻寸前にあった米沢藩を立て直し黒字化に成功した程度の実績しかありません。ただ中田にとって歴史上最も尊敬出来る人物が誰かと聞かれましたら、20年近く経った今でも上杉鷹山だであるとの考えは今も変わっていません。

何故ならこの人こそ中田が目的とする稀代のバランスワーカーだと考えているからです。

上杉鷹山は藩の財政を立て直す際に、出費を減らすために徹底的な倹約策を取る事にしました。食事は一汁一菜、多くの武士が絹の着物を着ている中で木綿の着物を着る事を初めとして自らを範として徹底的に倹約に努められたのです。

普通藩主になると自分の身の周りのものに使う資金は、藩主になる前の数倍の予算が与えられるのですが、鷹山は藩主になった後も藩主前の水準でよいと固辞し、それは藩政改革に成功した晩年に功労の意味で後の藩主が予算を増やそうと提案した際も、必要ないと辞退した程徹底したものだってのです。

一方で出費を切り詰めるだけでなく、必要と思われたものには果敢に投資する姿勢を取っていたのです。今でも米沢の伝統工芸として残っている漆の育成や人材育成の為に藩の学校を新たに開設するなどの事業には、積極的に投資を進めたのです。

人間関係においても、家柄に拘らず身分が低くても能力のある人材を藩の中枢に据える能力主義を徹底。その方針に反対してクーデターを起こした重役に対しては、極めて公平な裁判を行った上で切腹を含めた重罰を示して対応しましたので単に優しいだけの人物ではなかったのです。

一方で断罪した重役の息子に対しては、家督相続の際に父親から没収した所領を返却したり、藩の重職に就任させる等、親の罪と子供は関係ないと極めて寛大な処置を取っています。

健康面でも当時としては長命の70歳まで近くまで生きられましたし、大病を患われた事はありません。その点からしましても、お金・健康・人間関係の面だけでなく、他の面でも極めて複眼的な思考を持たれた非常に高潔な人物が上杉鷹山なのです。

私は最初に米沢を訪れた際、今は公園になっている米沢城の跡地を訪れそこに記されていた上杉鷹山の言葉が刻まれた石碑に心を打たれました。

「なせば成る、なさねば成らぬ何事も。成らぬは人の成さぬなりけり」

行動家であった鷹山らしい言葉ともいえますが、高潔な人格である反面、ほとんどの人間に当て嵌まる苦言をしっかり残す点が、超一流のバランスワーカーだなと中田は思うのです。