価値探究の道

投資や競馬の世界で儲けを追求するに世間で思われている価値と実際の価値のギャップを見つけること。そんな思いで書かれたブログです

「わらしべ長者」は人生の知恵の宝庫

皆さんは昔話の「わらしべ長者」をご存知でしょうかと聞いたらほとんどの人が知っていると答えられると思います。どんな話ですがと聞きますと、大抵の人は「わらしべ」を持った男が、次々と物物交換をする事で、最後は大金持ち(長者)になった話し位は答えられると思います。

少し詳しい人なら、「わらしべ」→「みかん」→「絹の反物」→「馬」→「お屋敷」とどのように交換をしたかもご存知でしょう。一般わらしべ長者の話はともすれば、ラッキーな男の話と捉えられがちだと思いますが、この話は人生を生きていく上の宝庫でないかと中田は考えています。

中田がそう思うのは以下の理由だからです

①主人公の男性が、真面目に働くが運に見離されているという現在でも通用するようなシュチエ―ションである事

②この状況を何とかしたいと思い観音様に祈りを捧げるのですが、もし祈りが通じないなら、あの世に連れてってもらいたいとかなり覚悟を決めた祈りである点

③観音様のお告げは、男が転んだ際に掴んだものが運が開ける元であると言った点

④実際転んで掴んだものはどこにでもある「わらしべ」であったが、観音様教えを信じた事

⑤「わらしべ」にアブをくくり付け「付加価値」を高めた点。その事で「みかん」に交換するきっかけを作った

⑥「絹の反物」から「馬」への交換は侍に強いられた半ば強制ではあったが、理不尽な状況にも受け入れた事

⑦一瞬損をしたと思った馬への交換であったが、実はその馬は滅多にいない「名馬」で、結果最終的な成功に繋がった事。

いかがでしょうか?「わらしべ」→「お屋敷」への結果だけを見るとラッキーかもしれませんが、転んだ際に手に入れた物を、お告げを信じて大事にし付加価値をつけ、多少理不尽な状況にも耐え、最終的な成功を手にした一連の行動は立派な成功哲学だと思います。

もしこの男が転んだ時に手に入れたものが「わらしべ」だからと言って捨てていたらどうなったでしょう。物語では半死半生の弱った馬を半ば強制的に交換されていますが、その状況に不平不満を述べて「馬」を死なせてしまったら何が起きたでしょうか?

「何も起きなかった」と断言できます。このような見方をしますと「わらしべ長者」の話は人生の知恵の宝庫と言っても過言ではないと思います。単に「ラッキーな男」の話だと思いこんだ人は、もう一度この物語を見直してはいかがでしょうか。きっと違ったものが得られると思います。

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