価値探究の道

投資や競馬の世界で儲けを追求するに世間で思われている価値と実際の価値のギャップを見つけること。そんな思いで書かれたブログです

戦争の終わらせ方を知らなかった日本

この夏は宮崎駿監督の「風立ちぬ」や百田直樹さんの「永遠の零」を読んだりしましたので、太平洋戦争中の日本の事を考えてみました。今の人が語ると、物力の違うアメリカに戦争を挑んだ無謀さや戦時中に起こった各地での悲劇により戦争は起こしてはいけないとの話になります。

中田も戦争自体はしてはいけないと思います。ただ昨年中国が挑発的な行動を行ってきたように、自分の国がいかに争いを望まなくても他国の姿勢や流れにより戦わざるえない状況になってしまうのも確かです。

太平洋戦争にしても、世界恐慌を端に発した西洋列強が採った「ブロック経済」や事実上の経済制裁である「ABCD包囲網」がなければ日本が戦争起こすだけの必要性を感じたかといいますと若干疑問が残ります。勿論歴史にIFという言葉はありませんのでなければという過程が意いのは確かではありますが・・・

太平洋戦争に日本が敗れた理由は色々考えられます。ただ、中田自身が思うのは太平洋戦争で日本があそこまで悲惨な敗北をしたのは、戦争を始める前に、ここまでやれば充分との勝利条件やここまでやられたら撤退との敗北条件を何も決めずに戦争に臨んだ事だと思います。

実際太平洋戦争開始直後は日本は各地で圧勝を続けていました。最初の成果だけを見ますと日本がアメリカと戦いを挑んだのが絶対的に間違いかというとそうは言えないと思います。もし仮に日本が戦争を始めた理由がよく言われているような「石油」の備蓄不足の問題であるなら、インドネシアの油田を制圧した時点で、最初の目標をクリアしたわけです。

ここでアメリカでなくイギリスやオランダに個別に和平交渉を持ち込み連合国の連携を阻害したり、そうはならなくても戦況が有利なうちに戦略物質である「石油」の備蓄を確保し、撤退するような戦略を取ればうまくいけば日本は戦争に勝てた、少なくとも惨敗は避けれたのかもしれません。

それをいたずらに戦場を分散させ、戦力が分散した結果日本は各地で負けるようになります。撤退らしい撤退もせずに各地にバラバラに軍隊を残していた結果、太平洋戦争終了時にはシベリアにも中国にも東南アジアにも日本兵の方が存在した状況は撤退することすらちゃんと出来なかった日本の軍隊の悲劇を表しているように思えます。

日本軍のとった行動を企業戦略にたとえるとするなら、本来は何か戦略的目標(石油の確保等)があってその手段として「戦争」があるべきはずなのが、いつの間にか手段であるはずの「戦争をすること」が目標となってしまったことの悲劇ではないかと思います。その結果「戦争することで」一番の利益を得るはずの軍隊は解散に追い込まれ、いわば会社を倒産させてしまったことになったので何をしているのかやらです。

ただこの悲劇は、省の利益ばかりを追求する現在の官僚さんたちの状況を見ると笑いごとにも思えません。本来日本の国の国力を上げるという戦略があって、その手段として「予算」が与えられているはずですが、今の官僚さんは「予算」の確保に血祭を挙げている状況で、太平洋戦争の軍隊と同じく手段が目的と課していると言いますのは、中田が厳しすぎるでしょうか。今の官僚組織が過去の日本軍と同じ経路をたどらないことを祈りつつも、期待薄かなと中田は考えています。