価値探究の道

投資や競馬の世界で儲けを追求するに世間で思われている価値と実際の価値のギャップを見つけること。そんな思いで書かれたブログです

その一言が言えない為に・・・

中田はサラリーマンなので毎朝会社に通勤していますが、中田の乗る路線は東京でもかなり混み合う路線ですので、朝の通勤電車は超満員の状態になります。

その状態はターミナル駅に着くまでほぼ続きます。中田の会社はそのターミナル駅の手前にありますので、駅で降りる際は人の中をかき分けなくてはいけません。

人によっては、電車の中に押し込まれ降りる事が出来ない人もいるのですが中田の場合はある方法を取ることで、どんな混雑の中でも電車を降り損ねた事はありません。その方法とは

「降ります」とはっきり言うことです

そんな事でと思われるかもしれませんが、そんなことなのです。勿論状況によっては、一度言っただけでは効き目がない場合もありますが、そんな時は降りられるまで、続けて「降ります」ははっきり言えば、ほぼ100%大丈夫です。

会社の女性の同僚で何度か降り損ねてしまった経験のある人がいたのですが、その時に「降ります」と言ってると確認したのですが、やはり言ってませんでした。私の嫁も数回降りられなかった経験があり、その時に「降ります」って言ったの確認したのですが、一度言ったけど駄目だったので一度しか言わなかったと言ってました。

何となく気恥ずかしいとか色々理由はあるかと思いますが、中田は逆効果だと思っています。中田もたまに「降ります」の一言を述べずに、満員電車を降りようとしている人を見かけます。

傍から見てますと、ただでさえ混んでいる電車で無言で人を掻き分け用としていますので、却って他の人の抵抗を招いているようにすら見えます。逆に「降ります」の一言を言えば、一度電車を降りてでもスペースを空けてくれる人もいて、苦労なく降りられる場合がほとんどです。
(たまに自分のスペースを死守しようとする頑固者の方もいますが、そんな場合も大抵隣の人がスペースを空けてくれます)

満員電車の中では、乗っている人は誰しも同じような苦労をしていますので声を出してはっきりお願いすれば、その程度の依頼は誰でもしてくれるものなのです。それを声を出さずに自分の意向や気持ちを分かって下さいと言ってもなかなか通じるものではありません。

それは満員電車の中の見知らぬ人のみならず、家族や友人と言った身近な人でも同じです。何か頼みごとをお願いしたい時に恥ずかしさやノーと言われたら嫌だと思って、お願いすらしない人は結構いますが「言ってくれたらやってあげたのに」「別に協力してもよかったのに」と言われるケースは結構ないでしょうか。

差を生みだすのはその一言を言うかどうかの違いだけです。声に出さずに自分のやって欲しいと思う事を、相手が万に一つ察して思い通りに動いてくれる事を期待するか、それとも自分で一言話して相手に動いてもらうようお願いするか。バランスワーカーとして生きる上で楽なのは後者ではないかと中田は思うのです。