尊敬すべき人の師匠の金言
以前のブログで私の尊敬する人物上杉鷹山と書きました。その上杉鷹山の師と呼ばれている学者に細井平洲という方がいます。青年期以降上杉鷹山に教えを授け、その後の上杉鷹山の行った施策にも多大な影響を与えたとされております。
細井平洲は上杉鷹山に様々な助言や言葉を残しました。最も有名な言葉は藩主になる際の鷹山に授けた「勇なるかな勇なるかな、勇にあらずして何をもって行なわんや」でしょう。何事を始めるのも何より大事なのは勇気であるといって、藩情勢が非常に困難な状況で新藩主として本国に向かう鷹山に対して背中を後押しした言葉です。
ただ私としては、「小説上杉鷹山」に書かれていた、部下の讒言(諌めの言葉に対する)に対して藩主の取るべき対応を書かれた言葉の方が印象に残っています。
それは
①讒言は部下にしても非常に勇気を持って行っている事であるので、藩主としては喜ばなくてはいけない事
②立派な讒言をしていながら、部下がその行い通りの事をしていない場合もあります。そんな口だけの部下の言葉を聞きたくはないと思われるかもしれませんが、部下の言っている事が正しいと思われたのであれば用いるべきである。
この二番目の言葉は本を読んだ当初の私には理解できない言葉でした。何でそんな口だけの人の言う事をわざわざ聞かなくてはならないのかと思ったものです。ただそれから何年も経ち中田には、細井平洲の言葉の意味がようやく理解できました。
何故なら、人にいい助言を言う事が出来ても、その言った事に自ら従う事は非常に難しいからです。デールカーネギーも
「百人の人によい助言を話す事は出来るが、その百人の一人として自らその言葉を守る事はとても困難だと言っています。」
「百人の人によい助言を話す事は出来るが、その百人の一人として自らその言葉を守る事はとても困難だと言っています。」
言うを優しく行うは難しという諺がありますように、そもそも人は自ら言った事に従う事は難しい事なのです。その難しい条件をクリアした人の助言にしか、従う事は出来ませんよといった制約を課してしまっては、ほとんどの人の助言を用いる事が出来ません。ですから細井平洲は鷹山に対し助言の質と言った本人の行いは別に見るべきだと言ったのではないかと今は思います。
会社で仕事をしていましたも、口では色々いい事をいいますが手は動かさない人がいるかと思います。そんな人達に対してつい、口先ばかりの人と耳を貸したくなくなる事もあると思いますが、私の中で最も尊敬する人物の師たる人がおっしゃる助言に従う方が、バランスウォーカーとしての私の生き方にそぐうものではないかと思っていますので、何を言われても貴重な意見をいただき有難いと思えるよう努力をしないといけないなと思っている次第です。