価値探究の道

投資や競馬の世界で儲けを追求するに世間で思われている価値と実際の価値のギャップを見つけること。そんな思いで書かれたブログです

苦労の総和は同じ

以前ある雑誌で母校の大学の偏差値の水準が掲載されていたのを何気なく見ていて驚きました。中田の母校の大学の合格に必要な偏差値が中田がいた頃から比較しますと10近く落ちていたのです。

中田の年齢付近の世代は第二次ベビーブーマー世代と言われていました。同世代の子供が多いこともあり、中学受験にしろ大学受験にしろ結構苦労した記憶があり、事実中田も一浪しています。

中田が受験した頃から20年近く経ち少子化の影響もあると思えますが、この数値であれば大学受験中田の受けた頃から比較すると楽になっているのではないかとの想像はつきます。

逆にこの数値を見て、大学生の多くが就職活動で苦労する理由のひとつが分かったような気がました。我々の時のように受験で苦労する事がなかったので、初めての激烈な競争を迎える就職戦線で人生初の苦労を味わう事になったからと思うのです。

中田の就職する頃、今ほどひどくはありませんがバブルがはじけ就職氷河期に入った時期でした。私の兄をはじめとしたバブル期の先輩たちが、内定を5つも6つも貰う時代の後、ひとつの内定を貰う事に紛争していた時代でした。

人によっては、そんな我々を大変だねと憐れむ声もあったのですが中田はそのようには考えませんでした。何故なら「会社に入る時に楽をした人間は、会社に入った後苦労すると」考えていたからです。

その頃はバブルの頃に入社した社員の方が、すぐ会社を辞めてしまうといった話が聞かされていました。会社に入る頃はお客様扱いで入って下さいと言われた人でも、会社に入れば扱いは当然違います。給料を貰っている以上、それなりの義務がある筈なのですが、そのあたりのギャップを埋めきれずに辞めてしまうような事があったそうです。

会社に入ると色々と嫌な事はあります。学生時代であれば、価値感の合わない友人とは付き合いを避けることもできたでしょうが、会社に入った上司と馬が合わないからといって付き合いを避ける事が出来ない事はよくおきます。

多少嫌な事があったとはいえ、会社に入るのにそれなりに苦労したのであれば、辞めようと思う気持ちはすぐに持たないのでしょうが、そうでないと嫌な事があるとすぐやめてしまう現象につながりがちです。

そういう忍耐力の無い人が、トータルで考えて社会人として得をするとは思えず、結果的には苦労を負いこむことになるのではないかと考えます。

諺にも「若い頃の苦労は買ってでもせよ」とあります。苦労を経験しない事が将来的には得にならないという事は、人生における苦労の総和は同じことを暗に意味しているのではと思います。そうであるなら、若くエネルギーのあるうちに苦労しておいた方が、年を重ねて苦労がやってくるよりベターではないでしょうか。中田はそのように考えます。