価値探究の道

投資や競馬の世界で儲けを追求するに世間で思われている価値と実際の価値のギャップを見つけること。そんな思いで書かれたブログです

本当の優しさとは

中田は大学時代は体育会系の部にいました。体育会系の部は上下関係に厳しい所があるのですが、中田の属していた部も例外に漏れず、下級生は上級生の指示に絶対でした。

まあ上級生の先輩は普段の部活でお世話になっているので、多少ガミガミ言われても仕方ない気はしましたが、それでも先輩に威張り散らされるのは納得いかない面がありました。

その反動で、自分が上級生になった時は下級生に対してあまりとやかく言わない人間になっていました。下級生に取っては居心地はよかったかもしれません。毎年10人はやめていた下級生が5人程しかその年は止めなかったので、その点は確かです。

ただ、少し緩ませ過ぎていた面もあったかもしれません。練習でも怪我や事故が多発したりして、私が最上級生の頃の試合における成績は直近10年で最低になってしまいました。

その後一つ下の学年が、私たちとは反対に厳しい路線で後輩に指導し、そのお陰もあり試合の成績自体は上がったそうですが、退部者が20名近くになったとの話を聞きました。後輩に甘くすると人は残るが成績が悪くなる、厳しくすると成績は上がるが人は残らなくなる、どっちの方法がよいのか学生時代は悩んだ記憶があります。

ただ社会人になって15年にもなる今の中田ならこう答えると思います。後輩を甘やかす必要はないが、その厳しさは後輩が世間で生き残れる力をつける等、あくまで後輩の為になることを考える事が前提だと思うのです。

今は、異性でも職場の上司・先輩でも優しい人が求められています。何をしようとも行おうとも、何ら文句を言わないで見逃す人を、「優しい」と考える人もいるかもしれませんが、中田の考えは違います。

大学の上級生から見た下級生もそうですが、社会の先輩から見れば後輩の立ち振る舞いは至らない点ばかりです。世間は厳しいものですのでおそらくその至らぬ点を放置しますと、早晩その後輩にとって望まざる事態が起こるのがオチです。

何でも認めて上げるのは優しさではありません。その振る舞いが将来的にその人間に取って為にならないと思える事であれば、殴ってでもそれを止めさせる。そのような姿勢こそ「真の優しさ」ではないか。今の中田にはそのように思えます。