価値探究の道

投資や競馬の世界で儲けを追求するに世間で思われている価値と実際の価値のギャップを見つけること。そんな思いで書かれたブログです

「捕食者なき世界」を読んで

先日「捕食者なき世界」という本を読みました。

タイトルの通り自然環境の中で捕食者たる動物がいなくなると何が起こるかについて書かれた本でした。

具体例をひとつ挙げますと、アメリカの有名なイエローストーン国立公園でオオカミがいなくなった後、野生の鹿が増えすぎてしまい、増えた鹿が木々の若芽を食べてしまうので森が大きく荒れてしまった。その後実験的にオオカミを放ったところ、オオカミが鹿を捕食し鹿の数が調整され森が復活したような話しが書かれています。

いわゆる動物のピラミッドの最上位に君臨する捕食者である肉食動物がいなくなってしまうと、周辺の自然環境全体が荒れてしまう。捕食者こそが自然環境を守っているキーなのだと主張している本です。

では捕食者が何故いなくなってしまうかといいますと、そこには人間の影響が必ずと言っていいほど及んでいます。ピラミッドの頂点にいる捕食者は通常の自然環境では、天敵たる動物はいません。捕食者の敵になるのはただひとつ我々人間なのです。

先程のイエローストーンのオオカミが滅亡した理由も、西部開拓時代に家畜を襲い悪影響を与えるとの理由で駆逐されきた事が要因です。とはいえもともとオオカミのすみかである森が開拓され、そこにオオカミの餌足りうる家畜を目の前に置かれて指を銜えて見ているわけはないでしょう。

人間のエゴと言えばそれまでですが、人間の経済的利益に反するとの理由で徹底的にオオカミは駆除され、オオカミを失った森の自然環境は荒れ果て、結果的には人間も森の恵みを受ける事が出来てくなってしまったのです。

この話しを読んだ際、北海道に行った時に見たニシン御殿を思い出しました。明治・大正の頃北海道沿岸には春先海に溢れる程のニシンが取れ、漁師の中には巨万の富を得る人もいたそうです。

ただそんな好況は長続きせず、次第にニシンの漁獲量は減ってしまい、今となっては当時の賑わいが嘘のように閑散としています。

ニシンが激減した理由は諸説ありますが主要因は乱獲であったと言われています。

今回の本の中でもベーリング海でシャチがラッコを襲うようになったとの話も書かれています。要因の一つとして、シャチが食糧にしていたマグロ等の大型の魚が、人間の乱獲により減ってしまい、その結果これまではエサと見なさなかったラッコにも目を向けるようになったのではとの推論もあります。

マグロにしろニシンにしろ乱獲を行ったのは、儲けが出るからとの人間のエゴだと思います。自然の恵みに甘え、目先の利益を重視し後の事を考えない人間の行為が呼び起こした自然の強烈なしっぺ返しがこれまで語った現象の本質ではないでしょうか。

経済社会に生きる我々は金銭的利益を追求しがちです。多くの金銭を稼げば稼ぐ程偉く扱われる傾向にありますが、逆に我々が満足いく生活を送るのにそれ程多くの金銭が必要なのでしょうか?

動物は肉食動物であっても、自分の必要とする以上の獲物を殺さないのはよく知られた話しです。そうする事で自然のバランスが保たれる事を彼らはよく分かっているからそのようにしているのです。

では万物の霊長と言われている我々人間はどうなのでしょう?必要以上に食料を作り廃棄する、スポーツと称し狩りを行う。いずれも自然界の摂理から見ますと誉められた行為ではないと思います。

この本を読んで思った事は、自然とうまく付き合いたいのであれば我々は必要以上に物欲を求めない事だと思いました。自然現象の中には人間にとって極めて都合の悪いものもありますが、自然の摂理からすると実は意味があるのかもしれません。

人間とて自然の恵みなしには生きていく事は出来ません。その本質を忘れ自らのエゴに埋没しようとする、行為は一歩間違うと両刃の剣になりかねない。そんな本質を教えてくれた本に思えました。


「捕食者なき世界」