価値探究の道

投資や競馬の世界で儲けを追求するに世間で思われている価値と実際の価値のギャップを見つけること。そんな思いで書かれたブログです

怒るのは1日おいて

会社の仕事は可能な限り穏やかにすごしたいものですが、そうは問屋が下ろさないのは現状です。起こった事態や他人の対応に不満を持ったり、怒りを感じる事もよくあります。

ただ、怒りの感情を感じた時にその場で感情を爆発させる方が得か、少し冷静に考えた方が得かといいますと中田は後者の方が得かと思います。

先日中田の部署であるミスが発生しました。こちらで原因を調べますと、納入業者さんのミスと判明したので、業者さんを呼んでミスの事を問い詰めたのですが、ミスの原因がなかなか自分サイドにあると認めませんでした。

ようやくミスがあることを認めた後も何かと理由をつけてこちらの情報共有不足や、その他の致し方ない状況であった事を説明しようとしますので、同席した社員の方は感情を爆発させてしまい言い合いに近い形になってしまいました。

中田も正直業者さんの対応は不誠実なものだと思いました。ただ中田はこの場で大事なのは、誰が悪いかを決める議論するのではなく、起こったミスに対してどのように対応するかと言う点が重要だと判断しました。

そこで「今回のミスに対してどのような対応をするのかまず決めましょう。今回のようなミスが起こるとお互いにとってよくないので、同じミスを発生させない対応策はまた別の機会に行いましょう」とその場の感情的な議論は収めさせ、ミス対応策に時間を割く事にしました。

これはいい例だったのですが、毎回中田がこうした対応が出来るかといいますとそうではありません。先日ある先輩社員から、とある資料に掲載されたデータの件で質問がありました。

確かにデータ自体は中田が集計したものであったのですが、データを渡した先の人が間違った解釈をしていて、資料内の他のデータと整合性が取れなくなっていたのです。

中田としては、集計の仕方が違えば当然結果も違いますので、資料内にその注釈を書いてもらえばよいかと思ったのですが、先輩は数値が違うのはおかしいとの一点張りで、そもそも中田の集計の仕方が悪いからこんな事態が起こるのではとまで追及してきたのです。

その時は中田は怒りの感情をあらわにしました。こちらは依頼通りの内容で集計したのであって、その集計データがどのように使われるかまでは責任はもてない。逆にデータを集計した人間がそこまで責任を持たないといけないのかと喰ってかかったのです。

その場は中田の勢いに呑まれる形で先輩はおとなしくなったのですが、今から思えばもう少し冷静に対処しておけばよかったと思います。集計業務をした事のない人に、集計のやり方を変えたら出で来る数値が全く異なる事を理解しろといっても一回で理解してもらえる事は難しいのだろうなと思ったからです。

先輩としても提出した資料を修正しろとかそう言った要求まではしようとは考えてないと思いますし、単に文句が言いたかっただけであるなら素直に聞いてあげた方が賢明な処置だったなと今では思います。(一応年長者の方ですから)

アメリカの大統領リンカーンの有名なエピソードとしてこんな話があります。南北戦争の時代、リンカーンの率いる北軍が南軍を追い詰め全滅まで後一歩の状況まで追い込んだ時がありました。その報告を聞いたリンカーンが司令官に総攻撃をして、闘いの決着を一挙に付けるよう指示をしたのですが、司令官はあれこれ言い訳をして、なかなか攻撃を行おうとしません。

そのうち敵軍が戦線離脱に成功したとの報告を聞いたリンカーンは、事態を嘆き、潜在一隅のチャンスを逃した司令官に対する怒りから、司令官の怠慢・無能振りを書きつづった手紙を書いたのでした。

ところがその事実が分かったのはリンカーンの死後でした。リンカーンの死後執務室の机の中に、先程述べた内容な激烈な内容の司令官あての手紙が見つかったのです。

そうリンカーンは手紙こそ書いたのですが、司令官に送る事はしなかったのです。リンカーンに何が起こったかはっきり知る人は勿論いませんが、恐らく手紙を書いた後、冷静になり今更このような手紙を送ったところで自分の気持ちはスッキリするだろうが、受け取った司令官が反省すればいいが、最悪の場合悪感情を持ち、ますます自分に反発するようになるだろと判断したのかもしれません。

人間ですので怒りの感情が湧いてくるのは仕方ないと思います。ただ、最も偉大な大統領と言われる人が、普通の人なら怒り狂っても当然とも思える状況で、感情をすぐ爆発させるのは得ではないと判断したのであれば、怒りの感情はその場で見せるべきものではないと思います。怒るのは一日置いてからにする、中田もそのように努力したいと思います。