価値探究の道

投資や競馬の世界で儲けを追求するに世間で思われている価値と実際の価値のギャップを見つけること。そんな思いで書かれたブログです

結果を気にしない事

人間関係を築く上で構築する上で、中田が大事だと思う事は

全ての人と良好な人間関係を築こうとする事は止めた方がいいということです

こんな事を書くと若い方の中には反発を感じる方がいるかもしれません。

ここでお伝えしたいのは、他の人と仲良くしようとするのが悪いとは申しませんが、世の中にはあなたがどんなに良い行いをしようとも、決してあなたの事を好きにならない人はいるのです。そのような相手の考えを「嫌い」から「好きに」変えようとしても、結局あなたの方が疲れてしまうケースが往々にしてあります。中田は30代の頃際どい経験でこの事を学びました。

中田が出向している時の上司は仕事に厳しい人でしたが、それでも当時の私は上司の期待に応えるべく色々努力してたつもりでした。ところが、出向を終える直前にその上司と飲んだ際に、その方は私の事を「今まで面倒を見た部下の中でも最低レベルに近い」と言い放ったのです。

さすがの私もこの上司の発言は相当応えました。上司の期待したレベルの仕事は出来なかったかもしれませんが、休日出勤までした努力した姿勢は評価して貰いたかったのですが、ビジネスライクな投じる上司にはそういう考えは全くなかったようです。私は上司の冷淡な態度に怒り、2年間の出向期間がまるで無駄であったような気分になりました。

その時救いになったのが、以前書いたデールカーネギーの名著「道は開ける」でした。(たまたま出張先で読もうと思って持ってきていたのです)その本にあった「恩知らずを予期しなくてはならない」の項目に、イエス・キリストの弟子であった人物すら、キリストが捕まった際に自分はキリストの弟子ではないと言い切った、はたまた弟子の一人がキリストを裏切ったりしている。キリストですらこのような状態であるのに、あなたの取るに足らない恩に対して大きな期待をしてよいものかとの記載がありました。

その本を読んだ後自分の事を振り返り、上司に取って大して役に立った事も出来なかったのに少しばかり上司の為に無茶した事を大げさに取り上げ、評価して欲しいと思ったのは虫がよかったのではないかとも思えるようになりました。

そして、上司が私を嫌っていたのと同様に、私も先程の発言を聞いても尚、その上司に好かれたいかと言いますと、仕事での縁が切れるのであれば最早嫌いだと言われてもどうともと思わない気がしましたで、お互い様かと思えるようになり、立ち直る事が出来たのです。

私もそうでしたが、若い頃に全ての人に好かれように躍起になって努力する人もいます。ただ、そんな時は世の中であなたが嫌いと思う人が全くいないかどうか考えて見るべきです。おそらく嫌いな有名人や知人が誰かはいるはずです。

そんな自分に出来ない事を相手に求めるのは虫のいい話とは思われないでしょうか?人間関係を良くしようと努力する事は必要ではありますが、全ての人に結果を求めるのは無理な話です。人間関係向上のためにやれることはやる一方でそれに対する結果は気にしない。今日のタイトルで書かせていただいた「結果を期待しないこと」とはそのようなことです。